水田の生物をよみがえらせる-農村のにぎわいはどこへ
かって、日本の農村が近代化されておらず、集落の人々の長年にわたって培われた知識、知恵や経験によって、水田が管理され、里地、里山が維持されていた頃、水田は多様な生物や植物にとって、なくてはならないすみかだった。
農家はみな助け合って集落や水田を維持管理し、農業を行っていた。毎日の重労働の合間にある祭り等が唯一の楽しみだったのか、いや日々の助け合いのなかにも、共同体ならではの楽しみがあったはずである。
それが、日本の高度成長時代に、農村の近代化・都市化が進み、農薬や除草剤、機械による農作業が取り入れられることにより、農家は長時間の重労働から解放されることになる。
手作業で行われていた除草が除草剤に、刈りとった草や厩肥が化学肥料に、土で塗り固められていた畦や用水路がコンクリートに、牛が耕運機に、藁ぶき屋根がトタンや屋根に、燃料は薪や炭から灯油やガスに、藁でつくった俵が紙袋に変わっていった。
さらには、米の消費減少、減反政策による休耕田、水田の放棄地の増加もあった。
そして、その過程において、時代の変化は容赦なく農家の生活や、水田、里地、里山の景観を変えていき、 生物の多様性も失われていった。
以前は当たり前にいた生物や植物が、いまや希少動物、絶滅危惧種になろうとしている。
筆者は、近代化される前の農家の生活を紹介し、関わってきた景観管理(福井県敦賀市の中池見湿地)によって、水田を中心とする農村の生物、植物の多様性が、自然を維持管理することができることを教えてくれる。
しかし、一方で過疎化・高齢化・都市化する農村が、その景観の維持・管理をすることがどれだけ大変なことか、また農村を中心とする景観が美しいだけでなく、景観を維持するために農家の知恵や経験を活かすことの重要性も訴えている。











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