「石見銀山ふるさとの食卓展」 9/25-27
「石見銀山ふるさとの食卓展」
~おおだブランドでおもてなし~
東京でふるさと”おおだ”に出会えるチャンスです。
期 間 平成21年9月25日(金)から27日(日)までの 3日間
場 所 『にほんばし島根館』
(東京都中央区日本橋室町1-5-3 福島ビル1F)
日本橋三越本店本館の向かい側
特典など詳しくはこちらから→「石見銀山ふるさとの食卓展」
「石見銀山ふるさとの食卓展」
~おおだブランドでおもてなし~
東京でふるさと”おおだ”に出会えるチャンスです。
期 間 平成21年9月25日(金)から27日(日)までの 3日間
場 所 『にほんばし島根館』
(東京都中央区日本橋室町1-5-3 福島ビル1F)
日本橋三越本店本館の向かい側
特典など詳しくはこちらから→「石見銀山ふるさとの食卓展」
リンク: 山陰中央新報 - 石見銀山入り込み客数35%減 現状維持へ対策.
この記事では、行政は現状維持を模索することに第一義を置いている。
しかし、この程度の分析で果たしていいのかをもっと検証すべきだと思う。
大切なのは、リピーターとなった人がどれだけいるのかということ。なぜならば、石見銀山遺跡は一度訪問しただけでは、決してその全容を体験することはできないだけの規模と範囲をもっているのだから。
世界遺産センターや大森町の町並み、線の山周辺の鉱山遺跡のみならず、街道や港をも含めた場合、当然のごとくトレッキングが基本となったツーリズムが増加してもおかしくない。
トレッキングをする場合、出口と入口が違い、それも相当な距離がある。その課題をクリアする交通手段を講じることが必要であり、それがリピーターの長期滞在も可能にするシステムづくりということになる。
このことは、三瓶山観光についても同様にいえることだ。登山する人の交通手段の確保をより便利にすることで、リピーターや長期滞在者を生み出す原動力となる。
近視眼的な観光開発ではなく、もっと俯瞰的に観光を見つめるほうがよい。
石見銀山遺跡のエリア内にある大田市大森町の大森町自治会協議会が、4月より「大森町内における出店マナー」と名付けて、大森町の景観や環境に配慮した出店者へのマナーに対する指針を策定、実施した。
大森町の町並みは、石見銀山が世界遺産登録される以前より、郷宿や代官所跡など、盛時の趣を醸し出しながら、静かにひっそりとした雰囲気の中、ゆったりとした時間が流れる空間であった。
世界遺産登録後は、観光客がどっと押し寄せ、それゆえに観光客目当ての商売をしようと出店が相次ぎ、今やおよそ50軒近くの飲食店や土産物店が軒を並べている。
以前より大森町の町並みを愛する人たちにとっては、現在までの喧噪は足を遠ざける理由としても十分すぎるものだったことだろう。
しかし、世界遺産登録された今、昔を偲んでいても、もはや後戻りはできない状況になっているのも確かである。
そうした中、重要伝統建築物群保存地区として、いままで培ってきた暗黙の出店ルールがあった大森町ではあるが、「穏やかさと賑わいの両立」を目指しつつ、まちづくりを進めようと住民が確かなルールづくりを行ったことは大きな意味がある。
大森町自治会協議会では、「世界遺産を守る町としての品格」が大切だと、住民代表のひとりの方がおっしゃっていた。
さて、出店マナーについては、新聞に次の項目が掲載されていた。
・ 1店舗につき、看板は1つと定める。看板の素材は、木や竹などの自然素材とする。
・ 新規の自動販売機の設置や、客の呼び込み行為は控える。
・ 出店する事業者や従業員は、大森町内に定住する努力をし、地域活動や遺跡保全活動に参加する。
※マナーについて罰則規定はない。
この取り組みについては、今後官民を交えた形で窓口、マナー判定組織づくりを検討していくとのことである。
世界遺産登録を一義的に観光振興に結びつけるのではなく、本来目指すまちづくりの一助となるように考えるところに、大森町自治会の正しい在り方を評価するものである。
ところで、出店マナーもそうであるが、これからのことを考えると撤退マナーも考えておく必要があるようにも思うのだが・・・まだ早いか。
石見銀山協働会議 第7回全体会
日時 2009年(平成21年)3月22日(日)13:00~17:00
場所 大田商工会館ホール
・報告会 「保全」「受入」「活用」「発信」
・分散会 大森・港町・街道などについて話し合う
・講演 「石見銀山と世界遺産 - 変化にどう向き合うか」 西村幸夫氏
・総評
入場無料
今回の会議では、世界遺産登録後の現状と課題についての報告を受けながら、今後の石見銀山協働会議等の役割や在り方、そして石見銀山行動計画の実現に向けた取り組み等について話し合います。
会議の総評として、東京大学先端科学技術研修センター教授(工学博士)西村幸夫氏による講演も行われます。
問いあわせ 大田市教育委員会教育部石見銀山課
電話 0854-82-1600(内線 326)
今日は、石見織人こむしこむさメンバーの中村君の呼びかけによる「仙の山トレッキング」に参加し、久しぶりに仙の山に行った。
午前10時 世界遺産センター駐車場は、まだ観光客も少ない時期でもあり、車がまばらにとまっていたのですぐあいたスペースを見つけることができた。
参加者は、6名、仙の山をトレッキングするのにはちょうどいい人数だ。
世界遺産センターから車2台で、仙の山の麓にある本谷口駐車場に行く。そこからトレッキングを開始した。すでに、大久保間歩ツアーの一行が先着していた。
天気は薄雲がかかった晴天、風もなく、気温も汗がでない程度で、トレッキングには絶好のコンディションだった。
本谷口番所跡→下金生抗(水抜き抗)→金生抗 とゆっくりと登る。
金生抗で、本谷登山道の整備工事を行っていることを知る。工事車両や資材、そして工事用モノレールが上まで続いている。
大久保間歩→釜屋間歩→安原備中霊所
大久保間歩は、福石鉱床の底部に位置する石見銀山最大規模の坑道である。ここでも整備工事を行っていた。
大久保間歩からは、ほどなく釜屋間歩に到着する。今年の1月は雪が多かったせいか、周囲の竹が軒並み折れ曲がっていた。
釜屋間歩は、初代奉行大久保長安とともに石見銀山にきた山師 安原伝兵衛が発見した間歩で、ここからの運上銀はおよそ3600貫(13.5t)にものぼったと言われ、その功績で安原は、「備中」の称号と「辻ヶ花染丁子文胴服(国指定重要文化財)を拝領した。
この釜屋間歩の岩盤を見ながら、仙の山の成因を教えてもらった。仙の山は下から何回も火山の爆発があり、火山灰や礫が積もってできた火山では日本最大の山であり、そこに地下から上がってきた金属を含んだ熱水が染みこみ、福石鉱床ができたとのこと。
また、釜屋間歩は、岩盤の上方に溝が掘ってあり、それが左下にある岩盤につくられた溜めますに注ぎ込むようになっている。溜めますの底には穴があるがこれは水を抜くための栓で留めてあったのだろうか。
溜めますには蛙の卵が産み付けられていた。
安原備中霊所のある安原谷を登っていくと、本来安原備中の墓にたどり着けるのだが、今日は折れ曲がった竹や、根こそぎ倒れた樹木が行く手をふさいでいたため、登ることは断念した。
本間歩→石銀(いしがね)地区
本間歩にあがる道には、すでに金属製の階段が設置してあり、いままで登りにくかった場所が整備してあった。(本来鬱そうとした自然道だったので、ちょっと違和感を感じなくもない)
中村君は、現在本間歩としてある空洞はその奥がふさがっていることから考えると、これは露頭の福石場のようなものだったのではないかと推測していた。そして、本間歩の隣にあるもう一つの間歩の入り口、そこからは地下の福石場に行くことができるはずで、本来これが本間歩の入り口だったのではないかと考えているということだった。(面白い)
本間歩から石銀地区までには、幾筋もの露頭堀の跡が東西に延びている。以前竹林だった場所の竹が刈ってあり、広い平坦地があった。
石銀地区に到着、ここまでゆっくり2時間かけた。
石銀地区は、中央の山の一部の竹が刈り取られ、そのチップが敷き詰められていた。ここで、昼食をとる。本当に穏やかな天気で、汗もかかず、とても気持ちがよい。ここに天空の都市が存在していたのだと思うと、いつもわくわくしてくる。
石銀(いしがね)地区→仙の山山頂(537m)
石銀地区から、こんどは仙の山山頂を目指して歩く。ここは、以前次男と竹刈りのボランティアに参加したが、まだ竹を切ってできた道がなんとか確認でき、上がることができた。
山頂までの道沿いは、段差のある人工的な平坦地があるが、それがなんなのか分からない。もしかすると、なんらかの意図のある建築がなされているのかもしれない。
山頂は笹が覆っている。樹木がたくさんあり、ここでは竹は見られなかった。
仙の山山頂→石銀地区→出土谷(だしつじだに)→佐毘売山(さひめやま)神社
石銀地区から佐毘売山神社まではひたすら降りるのみ、さして珍しい遺跡はないが、途中石銀地区の井戸と池をみることができ、また久手方面の日本海や、大森の町並み、山吹城、矢滝城、馬路高山などを見ることができる。
佐毘売山神社で休憩し、今度は遊歩道を銀山公園にむけて歩く。龍源寺間歩からの道は、途中落石防止工事のため、遊歩道のほうに迂回するようになっているが、我々は遊歩道をまっすぐ歩きながら、清水寺やちょうど梅の花で彩られた清水谷製錬所跡を見ながら、銀山公園に到着した。
3月最初の土曜日とあって、観光客も冬場より増えており、観光バスも何台かとまっていた。若い人の姿が目だつ。
さらに、歩いて午後4時半世界遺産センターに到着して、今回のトレッキングは終了した。
所要時間は、休憩や昼食も含めて6時間半。久しぶりに気持ちの良いトレッキングができ、大変満足した。
石見銀山が世界遺産になったのは、平成19年7月だった。
そして、月日はどんどん流れていく。
世界遺産とは一体なんなのか?2年たって色褪せて見えるのは私だけか・・・
大田地域の人々は、結局その答えを見いだせないまま、手をこまねいているというのが現実である。
それでも、世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」を錦の御旗のように、誇示することで利益を得ようとする人々がいる。
100年に一度の経済危機の中、石見銀山は100年の調査でその姿を現せばいいと思う。
そのためには、100年の間、地域を維持するための住民の努力が必要である。
市場原理主義にも汚されず、ひたすら公共事業に産業の大半を頼ってきた地域が、自立することは容易ではない。
もし、自立したいのならば、自己犠牲もやむなしであるし、地域振興の決定打も必要になるが、それも容易なことではない。
それでも、自分が生きてきた地域を守ろうとしている人たちがいる。変化を受け入れても、自分の存在意義を見失うまいと努力する人がいる。
誰が、そんな人々を支えていくのか?支えるためには、批判のうえに、代替案をもって提言しなければ、地域は崩壊する。
大田地域ならではセーフティネットをつくることが、行政にも民間にも求められる。
ある会での意見交換にて
アメリカ発の金融危機に端を発した世界的な景気後退は、日本にも飛び火して、日本経済は大変な状況にある。
大田市においても、誘致企業の雇用状況に早くも影響が出ようとしている。
大田市の産業といっても、第一次産業は就業人口の減少や高齢化が進み、第二次産業は、窯業を含め、誘致企業もどうなるかどうかわからない状況であり、第三次産業は消費の伸び悩みに苦戦している。
そんななか、唯一光り輝いているのが「世界遺産 石見銀山遺跡」に代表される観光産業になるはずなのであるが、今日は観光バスが1台も来ない状況、冬場の観光客離れは昨年同様予想されたことではあるのだ。
また、世界遺産となった地は、登録後3年立てば、概ね観光客の入り込み数はなだらかな減少か現状維持となるという。
石見銀山遺跡は産業遺跡である。見た目派手さはなく、何も知らない状態で来てしまうと、どこが世界遺産としての価値をもっているのか、全くわからない。
世界遺産センターのガイダンス棟が10月にオープンし、少しはその価値もわかってもらう仕組みも整いつつあるが、それがすべてではないだろう。
大田市観光協会は、石見銀山観光への対応で手一杯の状態で、本来の目的であるはずの、大田市全般を網羅した観光対策に取り組むことができない。
大田市の観光といえば、石見銀山はもちろんのこと、三瓶山(三瓶温泉)、温泉津温泉、日本海の景観と豊かな海の幸など、広範囲に様々な観光資源がある。
これらを包含した観光プロジェクトなしでは、せっかくの世界遺産も地域に大きな経済効果をもたらすこともできない。これからは、リピーターをいかに増やすかが、この地に観光産業が根付くための重要な要素となる。
観光に対する豊富な知識と経験をもち、都会のニーズを正確につかんでいて、大田市の観光を組み立てるスキルをもった人材を観光プロディーサーに迎えることが急務である。
都会と田舎をつなぐためのシステムを構築するスキル、大田市の豊富な観光資源をもって、観光プロジェクトを組み立て、ビジネスモデルを作り出すことが、大田市にとって重要なプロジェクトとなるであろう。
不景気だからとはいえ、必ず突破口はある。その一つが観光プロデューサーの招聘と活用であるのではないか。
本日は、ときおり雪のちらつく天候にもかかわらず、米子YEGの漆原会長ほか6名のメンバーの皆さんが、石見銀山にお越しになられました。
観光シーズンもすぎ、駐車場は空きスペースが多く見られます。風も冷たく、水道の蛇口につららが垂れ下がっているほどの寒さでした。
米子YEGの皆さんには、オープンしたての世界遺産センターの展示等にて石見銀山遺跡の歴史や全容を見てもらいました。
その後、大森の町並みの入り口付近を見学されました。
午後1時からの昼食会では、幸増専務とともに、石見銀山の感想や質疑、お互いの地域の情報やYEG活動について語り合いました。幸増専務からは、来年の中国ブロック大会大田大会のPRがあり、米子YEGから多くの皆さんに来ていただくようお願いしたところ、漆原会長より大勢で参加するとの太鼓判をいただきました。(笑)
もっと、時間があれば、いろいろ見ることができたのですが、現地視察は、中国ブロック大会大田大会でしっかりとしていただければとお互いに約束しました。
米子YEGの皆さん、どうもありがとうございました。
平成20年11月15日(土)12;00~16:00 山口県連・山陽YEGから、山本会長、沖本君、田辺君、小玉君、石井君、川口君、及川さん、永田事務局が、石見銀山の視察に訪れ、そのガイドをさせていただきました。
当日は好天に恵まれ、石見銀山は多くの観光客が押し寄せていました。紅葉の時期の石見銀山は、それでまた味わい深いものがあります。
石見銀山世界遺産センターにおいて、石見銀山遺跡の全体像、概要、歴史、鉱山技術などの説明を行った後、歩いて町並みまで行き、郡言堂の視察、町並み(屋敷の見分け方、栄泉寺、西性寺の鏝絵、重要文化財熊谷家住宅、城上神社)の視察を終え、最後はおおもり会館において、山陽YEGと大田YEGの交流会を開催しました。
私は、あくまでOBとして石見銀山のガイドと交流会におけるアドバイザーとして参加させていただきました。
いつもながら、ガイドをするのは楽しいものです。説明に対して、深い興味を示される皆さんの姿勢は素晴らしいものがありました。
山陽YEGの皆さんには、石見銀山遺跡の世界遺産としての価値の一端を少しでも理解していただけたかと思います。
今度は、鉱山である仙の山や街道、港を見に、またぜひお越し下さい。
また、来年開催される中国ブロック大会大田大会での再会を楽しみにしております。
石見銀山世界遺産センターが今年10月にフルオープンして、初めて訪れました。
11月15日(土)石見銀山は相変わらず、多くの観光客が見られます。
石見銀山世界遺産センターは、今まであったガイダンス棟が縮小され、そのかわりに展示棟が充実したものになっていました。
歴史、当時の状況のわかる資料、鉱山技術の資料、発掘品、銀貨幣、大久保間歩の一部の再現など、多くの資料が並んでいました。
これについては、初めて訪れたかたは、石見銀山の全体像をつかむのに今まで以上に容易になり、理解が深まることは間違いないでしょう。
しかし、いまだに十分ではない研究・調査結果からみれば、訪れた人に固定観念を生み出す原因となり、ガイドにより想像をかきたてられるという、今までのガイダンスのあり方からが難しくなるという要因にもなりかねません。
他にも、オリエンテーション室、体験学習室なども完成していて、今後の活用が期待されるところです。
11月も朝夕は冷え込むこの時期になって、米子YEG、山陽YEG、江津YEGから、それぞれ石見銀山について学びたいとの申し出があった。
大田YEGの現役から依頼を受け、対応させていただくことに相成った。まあ、卒業してもいつでもOKだし、いつもどこでも石見銀山のPRを積極的にしてきたのだから、歓迎するものである。
山陽YEGは、今週石見銀山視察に来られる。本日、早速電話をいただいた。石見銀山ガイドだけはするので、後のことは後輩に任せる。
江津YEGは、今月末に石見銀山についての勉強会をしたいとのこと。こちらも、本日日程の電話をいただいた。詳しいことは、現役どうしで対応するだろう。
米子YEGは、石見銀山視察と交流会をしたいとのこと。ブロック大会についての意見交換やお互いの活動の意見交換ができれば、大田YEGにとっても大きな刺激になるだろう。
結局、すべての事業は、来年の中国ブロック大会大田大会につながるものであり、また大田YEGにとっても交流を通じて、ビジネスやYEG活動に発展的経験を得るものだと思うので、後輩達にはしっかりとやってもらいたいものだ。
OBは、できるだけ楽にさせてね!
みんながつながる「夢」テレビ
サービス内容
・初期費用 通常価格 63,000円 (内訳 加入料52,500円 引込工事料 10,500円)
→一般世帯 21,000円(大田市、石見銀山テレビ放送が21,000円ずつ補助します)
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通常価格 端末機器料 15,750円 設置工事費12,600円
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現在ご覧のチャンネル・新規チャンネル 広島ホームTV(協議中)
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※追加プランとして、BS・CS放送31チャンネルの多チャンネルプランもあります
※地域の安心、安全は、音声告知サービスで
※いずれも税込み価格です、NHK受信料は含みません
さらにご用意しております
・インターネットサービス 10MB、30MB、90MB
・IP電話サービス (加入者同士通話料無料)
※サービス内容の詳細につきましては、石見銀山テレビ放送までお問い合わせ下さい。
11月から書く自治会、共聴組合で、個別の説明会をさせていただきます。
ケーブルテレビ整備事業について、平成20年度から22年度にかけて整備
※多くの人がケーブルテレビに加入し、また、活用していただけるよう、加入にかかる費用についてはケーブルテレビ全域整備後2カ年間に限り、市及び石見銀山テレビ放送株式会社が補助等を行います。
※加入金について、市及び石見銀山テレビ放送が一般世帯において3分の1ずつ、市民税非課税世帯において2分の1ずつの補助率で補助を行います。
だいたい以上が、今月の大田市の広報誌に掲載されていた内容です。
腑に落ちない部分が確かにあるような・・・多くは語りませんが、なんせうち貧乏なんで
先日は、とある会で、石見銀山ガイドの会の会長さんのお話しをお伺いする機会に恵まれた。
石見銀山が昨年7月に世界遺産に登録されて以来、予想を上回る観光客が押し寄せた石見銀山は、ガイドなしにはその醍醐味を理解することは難しい。
ガイドの会さんは、様々な研修や例会における情報交換など、本当に真摯に勉強されてガイドをされている。
ガイド養成講座の開催、自らの研修会、講演会、竹切り・草刈りボランティア、街道踏破、観光業者のプランニングに対するアドバイス、ガイドコースの危険箇所の発見など、その活動は多岐にわたる。
昨年と今年を比較すると、観光客の傾向は、団体から個人へと移行しつつあるようだ。
これが、単なる物見遊山から興味ある人達の訪れへと変化してゆく兆しであれば幸いである。
ただし、まだまだ課題も山積している。自然との共生をうたった石見銀山をいかに伝えていくか、石見銀山が様々な歴史と人間の叡智を集めた遺跡であったかという思いをいかに教えるかという永遠のテーマがあり、そこに重点をおきながらも、この地にいかにお金を落としていただけるかということにも真剣に向き合っておられる。
おもてなしの心というものを、ガイドの会のみならず、地域の誰もが持ち合わせなければならないということも、よく分かった。
ガイドの会にばかり頼るのではなく、地域の連携で石見銀山をもり立てる取り組みは、これから始めなければならない。
私もガイドの会に入りたい気持ちがあるが、今の体調では無理がある。
文化庁が、9月26日、世界遺産の推薦候補として新たに「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道など4道県)、「金と銀の島、佐渡」(新潟県)、「九州・山口の近代化産業遺産群」(福岡県など6県)、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県)、「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)など5件の遺産を選定したと発表した。
これで、日本の世界遺産候補は計14件となる。
残念ながら、隣の鳥取県が登録を目指した三徳山は、候補から外れた。
ところで、「金と銀の島、佐渡」は、石見銀山遺跡と「拡大・統合を図る資産」と位置付け、暫定リスト掲載に向けて名称やテーマを検討するよう文化庁が求めたとのこと。
驚いた。
果たして、そんなことが可能なのだろうか?というのも、鉱山として、石見銀山との関連をいうならば、佐渡のみならず、生野もそうだろうし、文化としてならば、山口市が提唱している「大内文化」との関連もあるだろうし、ここ石見銀山においても、石見地方の数々の鉱山や、陸路として利用された銀山街道も関連がでているのである。
確かに石見銀山と佐渡の間には、関連はあるかもしれないが、他が黙ってはいないだろうに、文化庁は果たして綿密な戦略をもってそういっているのか、それとも、石見銀山と佐渡の間でなんとかしなさいといっているのか?
いずれにしても、道のりは遠いことには間違いないだろう。
リンク: 山陰中央新報 - 石見銀山でベロタクシーなど試乗会.
石見銀山は、環境・自然に優しい観光スタイルというふれこみで、今年4月から「歩く観光」が、銀山地区において実施されている。
銀山公園から龍源寺間歩(観光間歩)まで、約2kmの道のりをゆっくり歩いて石見銀山の良さを満喫してもらおうという趣旨である。
世界遺産登録後、バスが多いときには1日80台という台数が行き来し、周辺住民は、騒音、振動、排気ガスと危険と隣り合わせの生活を強いられたから、その時と比べるとずいぶん環境は改善されている。
都会から訪れた観光客などは、沢沿いにつづく小径を歩くことで、自然を愛でながら遺跡も見ることができ、ある程度評価されているのではないかと思う。
但し、高齢者や幼児を連れた人、身体障碍者には、このルートはかなり厳しいものとなっていた。
そこで登場したのが、ベロタクシー。電動機付き三輪車で、自然に優しい石見銀山にマッチした乗り物である。これにより、今後高齢者や幼児連れ、身体障碍者にも、龍源寺間歩までの交通を確保してあげることができ、周辺住民(高齢者)の福祉タクシー的な利用も期待されるところである。
このベロタクシー、実は以前、私も大田YEGの一員として話しをきいたことがあったが、実現しても、かなりの困難を伴うものと考え、受け入れなかった経緯がある。私自身考えてみるに、実際はかなりの数の高齢者が歩いておられ、その脇を一部の高齢者がベロタクシーに乗っていくことは、公平性からみてどうかと思ったし、かといって身体障碍者だけの乗車では採算が合わないし、誰を乗せて誰を断るかという線引きや、かといって全てをアバウトにすると、需要を満たしきれないことから運営は難しいだろうと思ったからである。
決して、軟弱で貧乏だからひがんでいるわけではありません!![]()
とにかく、それでも手をあげられたベロタクシーは、きっとこれらの問題をクリアにして望まれているだろうと思われる。このベロタクシーが、弱者に優しい交通手段として、石見銀山のこれからの観光を担ってくれることを期待するものである。
島根県出雲市大社町にある「島根県立古代出雲歴史博物館」では、平成20年(2008年)5月31日から7月6日(日)まで、石見銀山遺跡世界遺産登録1周年記念「石州銀展」を行っています。
先日、それを見に行ってきました。
今まで、島根県が所有している御取納丁銀(おとりおさめちょうぎん)は、見たことがありましたが、今回は個人コレクターの方から寄託された古丁銀も見られるということで、大変興味をもっていました。
さて、展示品には、
石州丁銀
石州切銀
譲葉渦文(ゆずりはうずもん)丁銀
御取納丁銀
御公用(ごくよう)丁銀
文禄石州丁銀
山口天又(てんまた)丁銀
小銀(しょうぎん)丁銀
戎一文字(えびすいちもんじ)丁銀
括袴(くくりばかま)丁銀
出雲木瓜(もっこう)切銀
因幡(いなば)切銀
沢潟(おもだか)丁銀
慶長丁銀
慶長豆板銀(まめいたぎん)
宝永二ツ宝十二面大黒丁銀
宝永三ツ宝十二面大黒丁銀
享保十二面大黒丁銀
元文十二面打丁銀
元文九面打丁銀
包銀
など貴重な貨幣が並んでいました。表面の槌目や裏面の花押をみると、当時のままの姿が残っている感動を感じます。また、切銀、包銀、豆板銀にみられるように、銀が秤量貨幣として流通していたことがよくわかるものもありました。
江戸時代に改鋳したという貨幣、大黒や戎が打ち込まれた貨幣など、とても興味深く見学することができました。
おそらくこれだけのものは、滅多に見ることができないでしょう。
まだ、見に行っていない方は、ぜひ脚を運んでみてください。
奈良文化財研究所 上席研究員 村上隆氏著「金・銀・銅の日本史」を読んだ。
村上氏は、人類が関わってきた金属の中でも、特に象徴的である「金・銀・銅」について、日本における考古遺物を、「材料科学」の最新の分析手法で解析することにより、その歴史的変遷を明らかにしようと試みている。
分析にあたっては、「金・銀・銅」を地球から得る技術「第1の技術」と、「金・銀・銅」を素材として加工して、「モノ」を作り出す技術「第2の技術」を、人類がいかにして獲得してゆくか?について、7つの時期区分に分けて、村上氏の研究結果を基に論じている。
いままで博物館で何気なく見てきた金属製の考古遺物に対して、これからはその素材や製作工程にまで興味が湧いてくるに違いない。
7つの時期区分
草創期 弥生時代~仏教伝来(538年)
定着期 仏教伝来~東大寺大仏開眼供養(752年)
模索期 東大寺大仏開眼供養~石見銀山の開発(1526年)
発展期 石見銀山の開発~小判座(金座の前身)の設置(1595年)
熟成期 小判座の設置~元文の貨幣改鋳(1736年)
爛熟期 元文の貨幣改鋳~ペリーの来航(1853年)
再生期 ペリーの来航
この時期区分において、「石見銀山遺跡」は、長い模索期を打ち破るきっかけとなった鉱山として紹介されている。
本書は、石見銀山をより深く知るうえで、このうえなく重要な知識とその価値を教えてくれるだろう。
記念シンポジウム「世界遺産 石見銀山遺跡とその文化的景観について」
日時 平成20年7月19日(土) 13:30-16:30
場所 江戸東京博物館
応募 平成20年7月7日(月)締め切り
基調講演 脇田晴子 氏(城西国際大学客員教授)
パネルディスカッション
パネリスト
脇田 晴子 氏(城西国際大学客員教授)
村井 章介 氏(東京大学大学院教授)
中村 俊郎 氏(石見銀山資料館理事長・中村ブレイス社長)
大國 晴雄 氏(大田市教育部長)
コーディネーター
毛利 和雄 氏(NHK解説委員)
記念講演会「石見銀山遺跡の調査から姿を現した鉱山町」
日時 平成20年8月2日(土) 14:00-15:30
場所 江戸東京博物館
応募 平成20年7月17日(木)締め切り
講師 守岡 正司 氏(島根県文化財課世界遺産質 専門研究員)
申込先ほか、詳しくはこちらから→石見銀山遺跡世界遺産登録1周年記念事業in東京
島根県教育委員会が、平成17年(2005年)1月に発行した「石見銀山街道~鞆ヶ浦・沖泊調査報告」の中で、鳥谷芳雄氏が「沖泊・鞆ヶ浦における繋留遺構」という報告を出している。
それによると、沖泊と鞆ヶ浦における、いわゆる「鼻ぐり岩」と呼ばれている繋留遺構は、主に4つのタイプに分けることができるという。
Aタイプ・・・岩盤に垂直の穴をあけ、そこに別材を挿入して杭状にしたもの。便宜的に、「杭状」または「棒状」タイプと呼べる。地元では、「棒杭」と呼んでいる。写真は、いずれも沖泊で撮影。


Bタイプ・・・岩盤を両側から穿って、一部をブリッジとして残し、穴を貫通させたもの。(コーヒーカップの取っ手のような感じ)「鼻ぐり」タイプと呼べる。 地元では、「鼻ぐり(石)岩」と呼んでいる。この形が牛の鼻にあける環(鼻ぐり)に似ていることからこういう名前になったのだろう。写真は、前者3枚が鞆ヶ浦、最後の1枚は沖泊で撮影。

Cタイプ・・・岩盤に丸く、もしくは隅丸方形状に溝を深く掘り込むことによって、太くて低い円柱状の突起部をつくりだしたもの。「円柱状」または「臼状」タイプと呼べる。地元では、「臼石」と呼んでいる。写真は、いずれも沖泊で撮影。



Dタイプ・・・Cのように溝を切るのではなく、周囲を削り落として突起状に成形したもの。「隆起状」または「有頭状」タイプと呼べる。写真は、いずれも古龍で撮影。
調査報告によると、沖泊・鞆ヶ浦の繋留遺構の分布は次の通りだった。
(1)沖 泊 繋留遺構 総数 69 (Aタイプ 7、Bタイプ 14、Cタイプ 48、Dタイプ 0)
(2)鞆ヶ浦 繋留遺構 総数 14 (Aタイプ 3、Bタイプ 8、Cタイプ 0、Dタイプ 3)
調査時点では、タイプ別に成立年代を特定するには至っていない。
ただし、鳥谷氏の報告では、自然発生的な状態から段階的に考えれば、まずは樹木や自然形成による突起物を利用し、次に、岩を削るなり穿つなり、人為的加工の段階に発展したとすれば、、まずは加工の程度の少ないDタイプ(既存の岩を加工した臼石)やAタイプ(棒杭)といった方法がとられ、そしてBタイプ(鼻ぐり)、続いてCタイプ(周りを掘り込む臼石)というふうに成立したと推察されている。
また、加工過程において、沖泊は、やや軟質の凝灰岩を基盤とし、岩盤加工が容易であったのに対し、鞆ヶ浦は掘削加工にやや難点のある岩質であったことも、タイプの分布の違いに影響を与えているだろうとのこと。
さらに、加工過程とは別に歴史的背景として、Cタイプはある程度の大きさの船を繋留するために必要な強度をもっており、沖泊において北前船が就航した時代の所産である可能性が高いのではないかとの報告がなされている。
さるところから、大久保間歩の一般公開ツアーが苦戦していることを耳にしました。
→大久保間歩の一般公開ツアー(石見観光)
あのすごい迫力のある大久保間歩が公開されているのに、そのツアーが苦戦しているなんて、耳を疑いました。石見銀山にきて、少なくともあそこを見れば、石見銀山の中でも素晴らしい品位の銀鉱石が採掘された福石鉱床が、どんなものであったかが想像できます。
手掘りの部分と近代の機械堀りの両方の採掘技術の跡が残っており、そこに人間の底知れぬ貪欲さというパワーを感じ取ることができるはずです。
また、真っ暗な坑道に入ることによって、当時の人の苦労を偲ぶこともできます。
ぜひ、石見銀山に来られる方に見てもらいたいスポットが、大久保間歩とその周辺の岩盤遺構なのです。
苦戦しているということは、けっこう穴場であるということなので、この機会に行ってみてはいかがでしょう!
※大久保間歩や、その少し上の釜屋間歩へ行く道は、舗装整備されておらず、少しきつい山道になっていますので、お越しになられるかたは、服装や靴等にご注意ください。
また、大久保間歩に入るときには、現場でヘルメット、長靴、懐中電灯が貸し出されます。
集合場所の世界遺産センターは、休日は駐車場が大変混雑しますので、集合時刻を確認のうえ、あらかじめ早めのご用意をされることをお勧めします。
平成20年6月1日(日)島根県立三瓶自然館サヒメルで、自然・環境学講座「ここがおもしろい!石見銀山~サヒメルからのアプローチ~」の2番目の講座は、「山野が支えた石見銀山」と題して、井上学芸員により行われました。
石見銀山遺跡の本谷地区では、間歩とともに、すぐ脇に鉱石から銀を製錬した場所と思われる岩盤遺構が見られます。1533年に灰吹法が朝鮮人技術者によって導入され、銀を採掘しながら、その場で製錬し銀を取り出すまでの工程は、その場で一貫して行ったものと思われます。
また、坑道においては、入り口を囲う四ツ留や、坑内の落盤を防ぐ留木が必要でした。
そのため、石見銀山においては、相当な火力をまかなうエネルギー資源や多くの建設資材としての木材が必要となり、それは近隣からの木炭(吉舎炭、黒炭)や生木によってまかなわれたのでしょう
自然との共生というキーワードによって、世界遺産登録された石見銀山遺跡においては、これらの自然循環型資源供給システムを解明することも重要な研究テーマなのです。
それでは、石見銀山盛時の山野の姿をどうやって再現するというのでしょうか?井上学芸員によると、燃料革命がおこった昭和30年代までの里山の姿を再現できれば、そこから類推でき、そのための聞き取り調査等を今後行っていくことになるとのことでした。
また、以前石見銀山資料館の仲野館長の講座で、石見銀山盛時の資源調達については、いくつかの資料があるようにお聞きしました。
当時の石見銀山の様子を、こうして再現することにより、今までより当時をリアルに表現したガイドが可能になることが期待されます。
それにしても講座を聞いて感じたのは、化石燃料以前の時代は、山野が、田畑の肥料や牛馬の飼育、あるいは建築資材や燃料など、さまざまな生活や産業分野に対し重要な役割を果たしてきたということです。
最近、原油価格の高騰でバイオ燃料がとりざたされていますが、もともと日本人は化石燃料に頼らない生き方をしてきたはずなのに、今やその時代のことを忘れて危機感を抱いている。
かまどでご飯を炊いたり、惣菜をつくったり、いろりで鍋をしたり、魚を焼いたり、火鉢で炭による暖を取ったり・・・そんな昔の生活に、化石燃料に依存しすぎた現代生活から、少しでも脱却をするためのヒントがあるのではないかと、ふと思いました。
平成20年6月1日(日)島根県立三瓶自然館サヒメルで、自然・環境学講座「ここがおもしろい!石見銀山~サヒメルからのアプローチ~」を聴講してきました。
まず、「共に生きる~大久保間歩のコウモリたち」という講座(講師 大畑学芸員)を聴きました。
大畑学芸員は、石見銀山が世界遺産登録されるずっと以前から、大久保間歩のコウモリを調査研究されておられます。
コウモリは、世界に970種以上、日本にはそのうち35種が生息、島根には10種の記録があり、大久保間歩では、そのうち6種が確認されているそうです。
6種とは、キクガシラコウモリ、コキクガシラコウモリ、モモジロコウモリ、ユビナガコウモリ、テングコウモリであるとのことです。
大久保間歩にコウモリがいるといっても、微妙に変化する坑道内の生息条件(気温等)によって、コウモリは広い坑道内を移動していて、いつも同じ場所にいるわけではないとのこと。
今年4月には、大久保間歩の一般公開が始まり、今後コウモリ保護と観光が両立できるのかが心配されています。
ただし、今のところ、まだ人が入坑することで、コウモリの個体数が減少するかどうかは、因果関係が確認されておらす、これからの研究の課題がそこにあるとのこと。(とはいえ、人がどかどか入れば、生息環境に影響がないわけではないはずで・・・)
一般公開は冬期は行わないこととし、冬眠時期はコウモリに配慮しているとのこと。
コウモリと観光の共生という課題は、自然環境に配慮した世界遺産である「石見銀山遺跡」において、新しい観光のあり方を示しているといえるでしょう。
※コウモリは、一日におよそ40km前後を移動したという記録があるとのこと。すごい飛翔能力があることを初めて知りました。
23日文化庁の発表により、「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」は、イコモスから世界文化遺産「登録延期」の勧告を受けたことがわかった。
報道によると、イコモスは審査の結果、「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」が、世界遺産としての「顕著な普遍的価値」があるかを問題視。日本の主張する平泉と浄土思想との関係について、国内的な価値を超えるという証明が不十分だと指摘したという。
ユネスコの世界遺産委員会は、7月にカナダのケベックで開催される。それまでに巻き返しができるかどうか、これからが正念場である。
昨年5月12日に、我が「石見銀山遺跡とその文化的景観」がイコモスから「登録延期」の勧告を受けたことを思い出す。
イコモスの調査結果は、「登録」、「情報紹介」、「登録延期」、「不登録」の4段階がある。
「石見銀山遺跡」は、関係各期間の懸命の努力によって、「登録延期」の勧告から2段階アップの「登録」にこぎつけることができた。
世界遺産として「顕著な普遍的価値」があるかどうかは、「石見銀山遺跡」においても同様に言われたことであった。
世界遺産として価値があるかないか?この判断は、実際のところ非常に難しいものだと思う。「顕著な普遍的価値」という文言があるにせよ、その基準は数値化されているものではなく、あくまで人間の主観に基づいている。
「石見銀山遺跡」については、この普遍的価値が十分に証明されていることを再度の働きかけにより理解してもらった。ただし、理解されるためのキーワードは「自然との共生」という人の眼に訴えやすいものだったといえよう。
また、世界遺産委委員会の委員に日本の近藤大使がいたことも幸運であった。(今年は、日本が委員の一員ではない。)
私は、昨年「石見銀山遺跡」がイコモスから「登録延期」の勧告をうけたとき、その「顕著な普遍的価値」があることは信じて疑わなかった。要は、それを理解する側の問題であると思っていた。そして、必ず理解されると確信していた。(たとえ、世界遺産に登録されずとも・・・)
「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」が、今後どのような働きかけで「登録延期」を覆すのか、昨年同様の経験をしただけに、ひとときも眼を離すことができない。
リンク: 山陰中央新報 - 遺跡に残る鉱石 銀の含有率分析.
石見銀山遺跡における、銀鉱石の品位の分析を、携帯型蛍光X線分析装置で調べているそうだ。
今まで、石見銀山における銀鉱石の品位は、鉱石1トン当たり1キロの銀が含まれていたと、ガイドをするときには説明していたが、石銀地区では1トン当たり2キロの銀が含まれていたとは知らなかった。
詳しい調査でどんな結果が出てくるのか・・・興味津々といったところである。
・大久保間歩
石見銀山で現在わかっている坑道の中では、最大規模のものです。
大久保間歩という名前のいわれは、徳川幕府により派遣された初代奉行大久保長安が、槍をもって馬にのりながら坑道に入ったという逸話にもとづいたものです。
江戸初期には、「福石」という良質の銀鉱石が採掘され、大量の銀が産出されましたが、その後の大量の湧き水によって休山に追い込まれました。
1796年(寛政6年)に代官大岡源右衛門のもと再開発が行われ、「御直山五ヶ山」として代官所直営事業による経営が行われました。
また、明治時代になると、藤田組によって再開発が行われ、その跡としてトロッコ道の枕木や、削岩機や発破による近代工法の跡が残っているのを見ることもできます。
・大久保間歩の内部
大久保間歩は、本谷のなかで標高338mに位置し、鉱染鉱床である「福石鉱床」の下限に掘られています。主坑道は、坑口から約150mのところで落盤しています。また坑口から約50mの地点と約150mの地点で、西に分岐しています。
坑口からはノミで丁寧に掘られた綺麗な坑道が続きます。足下には、トロッコ道に使われた枕木がそのまま残っています。しばらく進むと、坑内には、江戸時代に掘られたと推定される坑道が縦横左右にあるいは上下に生々しく見ることができます。さらに進むと、江戸時代の間歩の跡は天井のほうに残り、下方は近代によって掘られた跡に変わります。
江戸時代の間歩を、近代は下方向に掘り進めたように思われます。坑内は奥へいくにつれて天井が高くなり、場所によっては5m近い高さがあります。
坑道は、危険箇所もあるために途中で立ち入り禁止となっていますが、よく見ると、さらに奥へと掘り進んだ間歩をみることができます。
約50m進んだところでは、竪坑や斜坑によって、さらに下にある金生抗につながっており、そこから約900m進んだところで仙の山を貫通し、蔵之丞坑に抜けます。
・福石場(巨大空間)
三瓶自然館サヒメルの中村学芸員が、藤田組が明治に坑内を測量した図面をもとに3Dマップを作成して調べたところ、この大久保間歩の奥には、高さ約10m、縦横25m×10mの巨大空間があるとのことです。図面にはこの巨大空間は、「福石場」と書かれており、全部で8つの福石場が描かれているとのことでした。
福石鉱床は、隙間がたくさんあってずぶずぶの仙の山の地層に熱水が染みこんで銀鉱石となった鉱染鉱床であるため、おそらくは銀がそこらじゅうに染みこんだ巨大な銀鉱石のかたまりがあったのではないかと、私自身は想像しています。
→石見銀山地下に8巨大空間(山陰中央新報)
・一般公開
大久保間歩は、この春から一般公開ツアーが行われています。期間を限定して、金・土・日・祝日にツアーが予約制で行われています。冬場は、西日本有数のコウモリの越冬地であるために入場はできなくなります。
→大久保間歩一般公開ツアー(石見観光)
※間歩とは、一般に坑道という認識をされているが、実際は鉱区という考え方が正しい。つまり、鉱業活動を認められた範囲を間歩というのである。
江戸時代の古文書によると、新たに間歩を開くには、他の間歩との間を約13間(26m)以上あけることが明記されているという。
参考サイト
・大田市観光ガイド
・大田市観光協会
・石見銀山(大田市)
・石見銀山ガイドの会
・しまねバーチャルミュージアム
・石見銀山資料館
今夜は、大田市民会館大ホールで行われた石見銀山天領太鼓の公演「和太鼓で奏でる石見銀山歴史物語」を聴いてきました。
石見銀山天領太鼓は、地域振興を目的として、大田商工会議所青年部(大田YEG)のメンバーが中心となって結成した太鼓チームです。今でも、大田YEGのOBと現役メンバーが中心となって活動されてます。
さまざまな公演活動を行っておられますが、我々は「天領さん」という市民の祭りでの公演を毎年聴かせていただき、地域に根付いた団体として認識しております。
このたびは、石見銀山世界遺産登録を契機として、石見銀山にちなんだ逸話をもとにして、新作の演奏に取り組まれました。
1000名が入れる大田市民会館大ホールがほぼ満員になるほどの人気で、しかも聴衆の層も老若男女さまざまな人々が集まり、人気の高さと市民の関心の高さを実感しました。
演奏は、朗読の後に演奏を始める形式で、途中踊りや芝居を織り交ぜながら、太鼓演奏で単調になりがちな公演にアクセントをつけながら、進められました。
一、「龍声」 波の音から始まり、大きな太鼓の2つの音が響き、笛の音とともに、龍の精気が映し出されながら、軽妙なリズムが刻まれてゆきます。
一、「岩響」槌の音が会場に響き渡り、ぽっと2つの灯りがともり、鉱夫の仕事を連想させながら、軽妙なリズムから激しいリズムへと移りゆきます。ときおり聞こえる「ソイヤッ!」というかけ声が、リズミカルに響き渡ります。
一、「絆」静かな中に響く音、ここでは演奏者の音とアクションの一体感を味わえます。
一、「石見銀山巻き上げ節」石見銀山ガイドの会の会員さんが、巻き上げ節を朗々と歌い上げられました。
一、「宝の山」演奏者は、それまで上半身をだした服装だったのが、法被を着て軽快にりずむを刻み、宝の山を掘り当てた喜びを表現しています。途中、舞い手も登場し、華やかな演奏となります。
一、劇「あれが天空の石銀の町」 劇の台詞により、仙の山の各谷の隆盛を説明します。
一、「天空の都」 仙の山に多くの人が集まり、活気にあふれた様子を表現します。
一、「石見銀山大盛の歌」 演奏者も疲れてくる時間帯、それでも勢いは治まるところを知らず、観客の手拍子も加わり、会場は熱気に包まれます。
一、「鞆ヶ浦」 波の音、「そーらこげ!」というかけ声とともに、船乗りの熱気を伝えます。
一、「ソーマ銀」 終盤に入り、演奏者はより一層テンポの速い曲を披露します。
一、「いろどり」 天領太鼓の代表作・・・
プロの集団ではないだけに、すべとの曲が完璧とはいかないまでも、日々の稽古をしっかりと積み、完成度の高い演奏を聴くことができたのは、非常に印象に残りました。
この天領太鼓が、今後ますます発展し、地域の誇るべき文化の一つとして常に前進されることを期待しています。
今日は、請われて石見銀山ガイドをしてきました。案内したのは2名、目的は仙の山の対面にある要害山(山吹城跡)に登ることでした。
天気はあいにくの曇り空、ときおり小雨がちらついていましたが、ちょうどよい肌寒さで、歩いても登山しても、ほとんど汗はかきませんでした。
午前10時半 石見銀山・銀山公園駐車場に車を停め、そこからおよそ2kmの道のりを歩いて要害山まで向かいます。(歩く観光)
大安寺跡(大久保石見守長安の逆修墓がある)、下河原吹屋跡、西本寺(山吹城の山門といわれている門がある)、豊栄神社(毛利元就が祀られていた)、龍昌寺跡、安養寺(鏝絵がある)、清水寺(せいすいじ)(もともと仙の山石銀地区にあったといいわれている)をめぐった後、登山口に到着しました。
要害山(標高414m)は、石見銀山の本格的開発を1526年に神屋寿禎が始めてから、戦国時代の武将たち(大内氏、小笠原氏、尼子氏、毛利氏)が、石見銀山の領有をめぐって幾度となく戦をおこなった場所です。
登り口には、休役所跡があります。その後は急峻な山肌を一気にのぼる道が続き、けっこうきつい登山となりますが、ほんの50分ほどで山頂に行くことができます。(体力のあるなしによりますが・・・)
→所要時間(石見銀山ガイドの会)
山頂には、いまでも山城の拠点となった山吹城跡の石垣や郭、お濠の跡が残っており、かなりの大きさの城郭だったことが想像されます。
本来ならば、山頂からは360度のパノラマが広がり、日本海や三瓶山などが見えるのですが、今日は雨と霧のため遠くまでかすんで、残念ながら絶景とはいきませんでしたが、仙の山が石銀地区の枯れ松とともに隣に圧倒的な存在感を見せており、大森の町並みも見ることができました。
それよりなにより、新緑があふれんばかりに輝いている山々の清々しさを感じることができたのは、とても気持ちのよいものでした。
我々が登ったときは、どこかのカメラクルーが先客でおられました。
さて、下山は別ルートを通り、龍源寺間歩の近くに降りました。あいにくの天気にもかかわらず、今日も多くの観光客が龍源寺間歩目指して歩いてこられていました。
帰りは、宗岡佐渡や吉岡出雲などの地役人の墓を見たり、福神山間歩、新切間歩を横目に、極楽寺、蔵泉寺口番所跡を通って帰りました。
なぜだか、途中、民家の裏庭でアナグマが地中に顔を押しつけて何かを探している姿を見つけました。![]()
このコースには、めぼしい施設とかはありませんが、戦国時代の石見銀山を想像するに十分な山行となりました。
石見銀山遺跡は、中世の間歩(坑道)が良好な状態で残っていることが、特徴のひとつといえます。
ヨーロッパや南米の鉱山遺跡は、近代まで採掘されてきたため、それ以前の採掘跡というのが、ほとんど見られないと聞いたことがあります。
石見銀山遺跡は、本格的な採掘が戦国時代(1526年~)から江戸時代中期頃までであったため、手掘り(ノミによる採掘)の間歩が数多く残っています。
ただし明治以降、休山となった大正12年までは、近代工法(発破、削岩機)によって掘られた間歩もあります。
現在、観光客が入ることのできる間歩は、龍源寺間歩と大久保間歩です。龍源寺間歩は人一人少しかがむようにして歩くことができる間歩ですが、大久保間歩は、石見銀山の中でも最大級の間歩で、高いところではおよそ7m程度の大きさがあります。
龍源寺間歩は、手掘りの跡が残っています。それに対して、大久保間歩は、近代になっても掘られた間歩なので、手掘りの跡と発破や削岩機を使用した跡の双方が残っています。
その他の間歩は、危険なので入ることはできません。
間歩は、現在調査して分かっているものだけでおよそ600ほどあるそうです。鉱山である仙の山(せんのやま)は、今でも竹やぶや土砂に覆われているので、実際にはもっとたくさんの間歩があると思われます。
先日、外からしかのぞけない間歩の内部を撮影しました。中はノミできれいに掘られ、奥へはまっすぐではなく、途中折れながら掘られていました。
間歩は、大きさがだいたい決まっていて、縦横2尺3寸~2尺4寸(60×90cm~60×120cm)だそうです。大人がしゃがんでやっと入る大きさです。それを、1日5交代で30cmづつ掘っていったとのことです。
堀子(ほりこ)は、藁を編んだ敷物を尻に敷いて、腰掛けてノミで掘っていったのでしょう。灯りは、サザエのからに油をいれて芯に火をともしたものだということですから、ほとんどまっくらな状態です。削りくずが顔に飛んできたり、粉じんを吸ったり、奥へいくほど空気が悪くなったり、過酷な作業だったに違いありません。
そんなことを考えながら、間歩を覗いてみてはいかがでしょう?
※石見銀山遺跡は、正式名称を「石見銀山遺跡とその文化的景観」といいます。
今年のGWは、石見銀山に来られた方は過去最高、昨年以上であるというふうに聞いている。1日に16000人が訪れたという新聞記事もあり、それは間違いないことなのだろう。
商売をされている方々には、嬉しい悲鳴があがっていたようだ。(いろんなブログをみると)
私は行かなかった・・・地元民としては、あの喧噪のなかで石見銀山の魅力を伝えておられたガイドの皆さんには大変敬意を表している。・・・私にはできないだろう。(未熟だから)
大森町の地元住民の方々はどう感じられただろう?
あの場所に16000人?、世界遺産効果とはこういうことなのか?
石見銀山に来られた方は、何を求めてやってきて、どういうルートを通って、どういう方法によって石見銀山の魅力を認識し、石見銀山について何を感じて、何を考え帰って行ったのだろうか?
さらにいえば、大田市という地域については、認識を新たにされたのだろうか?石見銀山を取り巻く観光地は?三瓶山は?サンドミュージアムは?そしてまた来られるのだろうか?
彼らの感想は、石見銀山のみならず、大田市の今後に大きく影響を与えることだろう。
最後に、今年世界遺産登録を予定する「平泉~浄土思想を基調とする文化的景観」があるが、ここが世界遺産になると石見銀山はどうなるのだろうか?
リンク: 山陰中央新報 - 石見銀山遺跡 過去最高の人出.
今日も、石見銀山は大変な賑わいで、臨時駐車場を含めて午前中に満車になったようだ。
私は、この喧噪のなか石見銀山に行くことはないが、聞いた話によると、仁摩町の臨時駐車場も朝から渋滞で、路肩駐車も数多く見られたとのことだった。
パーク&ウォーク方式も概ね受け入れられているようだが、その実観光客はどう思っているのか?気になるところだ!
昨日は、米子YEGの友人2名が石見銀山を訪れるというので、お伴しながらいろいろと見て回った。
正午すぎに来られてすぐ昼食をとり、その後ちょうど、彼らの知り合いの社長が、大森町にせんべい屋さんをオープンした初日だったので、まずはそのせんべい屋さんへ・・・
このGW初日は、パーク&ライド方式の変更初日であり、また大久保間歩の一般公開も初日ということで人出が気になるところだったが、聞くところによると、石見銀山駐車場は朝早くに車が集中して、相当な渋滞があったようだった。
しかし、石見銀山駐車場からの路線バスが銀山公園前で降車するピストン輸送だったため、代官所前~町並みは意外とお客さんが少なかった。
・・・にもかかわらず、せんべい屋さんは帰りのバスの停留所前でもあり、代官所駐車場の前という立地に恵まれて、けっこうお客さんが入っていたようだった。
新聞報道によると、初日は入り込み客が昨年より500人多く、およそ4000人、銀山公園から龍源寺間歩までのバスは運休し、片道およそ2.3kmの道のりを歩いていく方式に切り替えたにもかかわらず、龍源寺間歩のお客さんは、昨年より471人増え、1300人だったようだ。
→大久保間歩の一般公開スタート(山陰中央新報)
不安もあった歩く観光は、上々の滑り出しのようだったが、その分町並み散策は減ったのかもしれない。
さて・・・せんべい屋で社長と4人でしばらくお話しをしてから、一度別れて大森町の町並み散策、前述したように意外と人通りは少ない。
大田市観光協会まで行ったところで、お二人を観光協会の事務局長さんに紹介し、石見銀山観光についてお話しさせていただいた。
その後、代官所前までもどり、せんべいを買って、大森町を出る。
次は、映画「砂時計」が今日から上映されるが、その聖地であるサンドミュージアムへ・・・すでに時間は午後4時半と(閉館6時、受付5時半まで)遅かったが、まだまだお客さんが入っていた。ちょうどやっていた映画「砂時計」の写真展を見てから出た・・・主題歌「帰りたくなったよ」(いきものがかり)が耳にこびりついてしまった!(笑)
最後は、国道9号線沿いの和田珍味さんによって、社長にお二人を紹介し、しばし石見銀山を活かした会社経営について話し合った。
GWはこれからである・・・どこまで入り込み客数が増えるのか?個人的に注目している。
明日から、ゴールデンウィーク(GW)が始まるという。
石見銀山が、昨年7月に世界遺産登録されて初めてのGWである。当然のことながら、かってない観光客の入り込みが予想されるところである。
昨年、世界遺産登録前GWですら、それなりの想定をし、パーク&ライド方式を実験的に行ったものの、混乱のうちに始まり、混乱のまま終わった。
駐車場やパーク&ライド方式により、混乱を避ける仕組みづくりはすこしづつ整備が進み、飲食店やお土産物店も増えているとはいえ、大森の町並み自体は、そのままのたたずまいを保っている、おそらく今年も想定外の出来事が起こるだろう。
昨年来、パーク&ライド方式を実行した結果、ひっきりなしに町並みを通過する路線バスや観光バスによる振動、騒音、排気ガス等に対して、住民から悲鳴が上がり、陳情等が行われた結果、4月26日(土)からは、銀山公園から龍源寺間歩までの路線バスが、1ヶ月間(4/26-5/31)運休することになった。
→石見銀山パーク&ライドの見直しについて(大田市観光ガイド)
石見銀山に来られる方は、できるだけ大森町への車の乗り入れをやめ、公共機関を使われることをお勧めする。また、車で来られる方は、予め情報を確認してきてほしい。
→石見銀山遺跡 石見銀山駐車場・ゴールデンウィーク期間中の混雑予測(大田市観光協会)
さらにいえば、今年は4月26日(土)から、映画「砂時計」が東宝系でロードショーとなるが、その「砂時計」というのが、石見銀山にほど近いサンドミュージアムを中心とした地域を舞台にした大ヒットコミックが映画化されたものである。
昨年は、テレビドラマ化もされ、高視聴率を生み、異例の再放送まで行われたほどである。その影響で、サンドミュージアムにも世界遺産とは別の層の観光客がどっと流れ込んできた。
今年も、映画上映と同時に多くの人が押し寄せることだろう。
→映画「砂時計」の公式サイト
→仁摩サンドミュージアムのサイト
また、大田地域には、国立公園三瓶山という観光地もある。おそらくは、かってないほどの人が集まることが予想される今年のGW・・・田舎の町にあふれんばかりの車が押し寄せる光景におびえつつ、自宅でじっとしていようかと考えたりもする(笑)
注 うちは石見銀山とは無縁の場所にありますが、市街地に出ると、車がたくさん見られます。
世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」のうち、来訪された方にぜひとも一度は見ていただきたい場所があります。
釜屋間歩(かまやまぶ)がその遺跡です。江戸時代、人間の手で加工された巨大な岩盤遺構は、見る者を圧倒するスケールがあります。
※間歩とは坑道のこと。
釜屋間歩というのは、初代奉行の大久保長安配下の山師安原伝兵衛が発見したと伝えられる問歩で、この間歩からの運上銀は3,600貫(約13t)に上ったといわれています。
安原伝兵衛が、銀の発掘中に観世音菩薩によく似た銀のかたまりを見つけたので、信心していた清水寺(せいすいじ)に奉納して新鉱脈に当たるよう祈りました。数日後、彼の枕もとに本尊の十一面観世音菩薩が姿をあらわし「流れ坑の安原間歩の湧き水処理に工夫を加えると、山は大生産にはいる」という暗示とともに、銀の釜を授けられる夢を見ました。
安原間歩はもともと有望な鉱脈があると見当をつけていたところですが、開墾には費用がかかるので手をつけかねていたのです。早速、奉行の大久保長安に夢の話しをすると、速やかに費用の援助と開掘の決断がなされ、新しい大鉱脈を発見するのです。
このとき、夢に出て来た銀の釜にちなんで釜屋間歩と名前を改めたと伝えられています。
平成15年、釜屋間歩と考えられていた問歩の上側に岩を掘った階段が見つかり、その後に巨大な岩盤加工が発見され、発掘作業が進められています。
遺構は岩盤斜面を人為的に加工したもので、3段の平たん面があり、40の階段が繋がる最上段には1m四方の基段があることから、墓ではないかと考えられています。
2、3段目の平坦面には間歩跡もあり、梁などを入れるための穴も見られることから、何らかの建物が存在した可能性があります。
本日は、一日中雨でした。こんな日は、どうしても鬱々としがちですが・・・
以前より約束していた石見銀山ガイドを、出雲YEGの友人とその友人の会社の社員2名とともに、雨天決行したのでした。
午前10時半、雨のふる中、まずは石見銀山世界遺産センターで事前の知識を詰め込んでから、仙の山(537m)本谷地区へ向かいました。
本谷地区では、雨で足下が悪い中、本谷口番所跡、金生抗、大久保間歩、釜屋間歩、本間歩とガイドをしました。
いつものことですが、私たちの他には、何かの取材で来たような1組のグループとすれ違っただけで、ゆっくりと私たちだけで登山しました。
それぞれの間歩で、現場を見ながら石見銀山遺跡の価値を説明すると、同行者は感嘆の声をあげ、「ここに来て初めて石見銀山遺跡の価値を感じることができた!」と喜んでくれました。
登山の後は、霧雨のなか大森町の重要伝統的建築物群保存地区を散策し、古い町並みや寺社について説明しました。
全盛時の石見銀山遺跡の姿を想像しながら、ゆっくりと歩くことができ、楽しい一日でした。
昨日は、晴天の中、愛媛県新居浜市より新居浜YEGの訪問を受け、石見銀山ガイドを行った。
新居浜YEGとは、今年3月に大田YEGが別子銅山を視察した際に交流を行ったことが縁で、今回は新居浜YEGが世界遺産登録となった石見銀山遺跡の視察と交流を目的としお見えになった。
午後1時 新居浜YEGの7名が到着し、昼食をともにしてから、石見銀山遺跡のうち、鉱山町として栄えた大森町に向かった。
午後2時 大森町の石見銀山駐車場(ふれあいの森公園)に到着、すでに車が長蛇の列をなしていた。駐車後は、まず石見銀山世界遺産センターのガイダンス棟にて、石見銀山遺跡の概要と特長を説明した。
石見銀山遺跡は、産出された銀が東アジアのみならず、東洋と西洋の経済交流のきっかけとなったことなどは、あまり知られていない。ここで、その歴史的資料などを見て説明する必要がある。
バス停も長蛇の列だったが、ここは予定通り歩いて町並みまで行った。その後、銀山公園から龍源寺間歩への遊歩道を歩きながら、石見銀山遺跡の歴史や内容をガイドした。

ちょうど紅葉も見ごろであり、ゆっくりと散策しながら歩くことが出来た。

龍源寺間歩では、横相法という採掘方法の説明、あるいはのみの跡をゆっくり見ながら、1日5交代で30㎝しか掘り進められなかったこと、鉱夫は30歳を迎えると尾頭付きの鯛で祝うほどの短命であったことなど・・・ガイドをしながら・・・すると、ガイドを伴わない観光客も一緒になって聞かれるので、その方達にも分かりやすく説明することとなった。

新居浜YEGのメンバーには、このように石見銀山遺跡のような産業遺産は、その価値が見ただけではわかりにくく、ガイドをつけて歩いたほうがいいが、現状はまったくガイドが不足しているため、その仕組みづくりについて、大田YEGはもっとガイダンスについて踏み込んだ議論と活動が必要なことを痛感していることを課題としていることを説明した。
龍源寺間歩を出た後、バス停に行くと、そこも100名以上の人が並んでいた、シャトルバスは定員50名もないので、ここからも歩くことにした。
このように、今はパーク&ライド方式で、観光客の受入をしているが、バスが1日50台、往復でのべ100台が町並みを往来する状態に、住民は辟易しており、すでに引っ越しをした人もいる。
今後は、観光客の不便は承知で、パーク&ウォーク方式をとったほうがいいという流れがあること(但し、高齢者、障碍者や赤ちゃん連れなどの弱者については代替交通機関を使えるように)、そして、観光客がそれでも見たいと思うような遺跡であれば、本当に興味がある人を受入れ、その人たちがリピーターとなってくれることが、石見銀山を核としたまちづくりにとって、あるべき姿ではないかというお話しをした。
最後は、町並みにある「中田商店」のごま豆腐を購入し、「群言堂」というお店を見学、ちょうど社長さんもおられたのでしばらく話しをし、また大田YEGとの座談会をすることを約束させていただいた。そこから、さらに町並みについて、その特長と歴史、寺社仏閣についてガイドして、石見銀山視察の全てを終えたのは午後5時半であった。

午後6時半からは、大田市波根町の大田YEGメンバーの旅館で交流会を行い、あんこうのへか焼きや、日本海の幸を使ったバーベキューで交流を深め、二次会、三次会、四次会とあいかわらず無茶な飲み会で親睦した。
平成19年7月に世界遺産登録を予定している「石見銀山」には、その遺跡を覆い尽くす竹林の存在が問題となっている。
遺跡を有する仙の山(せんのやま)は、そのほとんどが竹に覆い尽くされている、実は遺跡が発掘されたのも、林道建設中に竹を伐採し、表土をはがしたときに見つかった遺物がはじまりだった。
いまでも、現地には竹があまりにも多い。春、見に行くと遺跡の周りには次々とタケノコが伸びてきていた。
竹を伐採して、それを活用した事業ができないものか?私には思いつかない。何かないか?誰か知らないか?
そんなことを考えている。
平成17年12月3日(土)午半 石見銀山遺跡のうちの銀の積出港となった港の一つ、温泉津町の沖泊に見学に行った。
沖泊の港に車を置き、まず神屋寿禎が建立したと言われている恵比寿神社を見る。室町時代にさかのぼる神社を見て当時の情景を想像した。
沖泊には、井戸が3つある。沖泊以前に使用されていた港の鞆ヶ浦は井戸が1つしかなく、その井戸も安定した水の供給ができなかったことが、港を沖泊に移した理由の一つとも言われている。
次に集落の特徴を見る。この集落には倉がある。これは漁村には見られない。つまり、この集落は、当時海運業(港に着いた船から荷物を下ろしていた)も営んでいたと推察されるとの説明を以前聞いた。
湾に沿って細い道をしばらく進むと、すぐに鼻ぐり岩を見ることができた。岩に綱を通す穴をくりぬいたもの、岩に縦穴をつくりそこに別の岩を柱のように立ててあるもの、岩を丸く削り柱のようにしたものなど、ぱっと見ただけで数十個の鼻ぐり岩をみることができる。
さらに道を進むと外海である日本海をみることができるが、そこで驚いたのは外海はとても荒れていることだった。沖泊の港は波がほとんどない穏やかな海面だったのが嘘のように、冬の日本海は波がうねり、岩場に波しぶきが激しくたたきつけられていた。沖泊が櫛島という波よけ島によって、天然の良港になっていることがよく分かった。
遺跡の見学はここまで、その後建築中のレストハウスの横を抜け、展望台にあがり、しばし日本海とリアス式海岸のおりなす絶景を見ていた。この風景はなかなか良い!
今度は、子供を連れてじっくり散策してみたい。
平成17年10月1日をもって、大田市、温泉津町、仁摩町の1市2町が合併するのを記念して、青年による合併イベント実行委員会が新生大田市合併イベント「Let's go 石見銀山ウォーキング」を催した。私もそのメンバーの一人であり、スタッフとして参加した。
当日まで、実行委員会の中では様々な出来事があったが、なんとか新大田市民300人の参加を頂いてイベントは成功裏に終わった。
私は、全行程約20kmのルートを参加者とともに歩いた。小六の長男と小三の次男も一緒に参加、長男は午前中に陸上教室があるので4kmの休憩所まで歩いて終了、次男は私とともの最後のゴールまで歩いてくれた。
爽やかな秋晴れの中を歩いてといいたいところだが、曇り空が晴れ渡った頃からどんどん暑くなった。道路脇の気温表示で32度まで上がった。今日の新聞で10月の観測史上最高気温を記録したという記事を見て納得する暑さだった。
ウォーキングが終了して、無料のおにぎりを6つ食べ、お茶を飲み、少し休憩した。
イベントは、その後地元のよさこい団体「和笑(なごみ)」の踊りを楽しんだ後、式典を行い、地元小学生と青年がそれぞれ新生大田市のこれからの発展を誓う先生を行い、鏡割りの後、参加者を校庭に集めて、新大田市の地図を形取り、それを高所作業車の上から写真撮影して、終了した。
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